「足羽」という地名(足羽県⁉️)
今回は足羽川の「足羽」という地名について記したいと思います。足羽という言葉は西暦731年には文書に記されているとのことです。由来は継体天皇(450?〜531年)時代に阿須波神からとったとも言われています。でもなぜ足に羽と書き、この字を当てたのでしょうか?
現在は、福井市民の憩いの場になっている足羽山とそこにある足羽神社、町名としては足羽山上と麓に残るのみですが、高校や中学校の校名にも使われています。しかし足羽は大いなる地名で、上の画像のように1871(明治4)年に廃藩置県が行われたときに越前の北部が足羽県だったことがあります。まず福井県(第1次)と命名されたそうですが、明治政府が徳川幕府時代の福井藩(親藩・松平)の名を使うのを嫌いわずか1か月で足羽県に改名しました。その後、敦賀県→嶺北は石川県・嶺南(敦賀郡)は滋賀県→1881(明治14)年にほぼ現在と同じ福井県となりました。そして1958(昭和33)年に鮎釣りファンにはご存知の大野郡石徹白村が岐阜県に移りました。
一方、廃藩置県時には足羽郡が置かれ、現在の市街地国道8号線辺りから旧美山町の境寺町や東西天田町まででした。上の地図は1963(昭和38)年頃の壁掛け福井県全図の一部です。赤いマークが当店のある西河原町の位置です。そして足羽郡と朱記されています。これ以前、当地は大野郡下味見村でした。1955年に足羽郡と大野郡の6か村が合併して足羽郡美山村になりました。その後1964年に町制移行し、2006(平成18)年に福井市に合併しました。これにより、歴史ある足羽郡がなくなってしまったわけです。改めて地図を見ると、武生市・今立町・西谷村といった行政区や多くの電気鉄道も今は昔となり寂しい気がします。
このように「足羽」を冠した地名や施設がどんどん少なくなってきました。その中で「足羽川」や「足羽鮎」が持続可能なように組合員やお客さまで盛り上げていければと思います。
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